第6章 シュールな君のリアリティー
「すごいもの見つけた」
放課後、草太の誘いに連れられて家とは逆方向に歩いていくどう聞いても彼はすごいものの正体を明かしてはくれず、私たちの上には不安と期待が。それこそがやつの手なのかもしれないが、事実なので仕方がない。早足で歩く以外に選択の余地はない。
橋を越える。私の生活エリアにはまったくかかわりのない道。ブロック塀、バラの垣根、積まれたプランター。どこかで見たことがあるような、けれど見たことのない風景。家がある分だけつまりは誰かが住んでいて、そこにはそれぞれの生活があるのだ。なーんて当たり前のことへの驚きと奇妙さにちょっと頭が痛くなる。私がまったく知らない人にも、同じように時間が流れ、その存在は続いていく。歩けば歩くほど、こんなにもたくさんの人がいる。私も、その中の一人にすぎない、ということも同時にわかる。
そんなことを考えながら歩いているのでますます、どこにつながるのか、何を目指しているのかわからないままだった。ただみんなと一緒に歩いていくだけ。
「思えば、小学校っていうのもそんなものなのかも」
「え、なにが?」
ふと呟いてしまった言葉に反応してくれた葉子ちゃんに、考えたことを言ってみた。
「詩人だねぇ、れんかちゃんは」
思いもかけない評価に絶句。横で笑う呉林に葉子ちゃんのカバンが飛んだ。
「なにがおかしいのよ!」
「だって、詩人っていうのは、この場合まちがった使い方でしょう」
「私はそう思ったんだからいいのよ!」
怒った彼女は先を歩き、怒らせた彼は肩をすくめた。思えば呉林というやつは、人の神経を逆なでする才能にあふれている。だがそれは無意識ではなく、そうなるとわかっていて、わかった上でやっているからどうなっても後悔しないようだ。それを自分で楽しんでいるのか、それとも偽悪者ぶりたいお年頃なのか、よくわからないけど。
まだ、昨日の会見が尾を引いているらしい。考えると頭が痛くなるのはそのせいだ。
一直線の少し広い道に出た。大通りへつながる光景で、ここがどのあたりなのかがわかる。それだけで印象が変わった。見方を変えるという面白さと、わかってしまったらもうあとへは戻れないという感覚。結局私は知りたいのか知りたくないのか、よくわかっていないらしい。
「ここ、ここ」
足を止め、案内人が指さした。
三階建てぐらいのその小さなビルは、ビルと呼ぶのがつらくなるようなうらぶれ具合だった。もともとの色というよりは長年の汚れがこびりついたような壁の上を、屋上からうようよとたれさがったツタが我が物顔に居座っている。お世辞にも、すごいところには見えなかった。逆の意味でならすごいかもしれないけど。
「ここ?」
口元をかすかにゆがめながら、得意そうな色をなんとか隠そうとしているみたいだったが無駄だった。草太の視線の先は大きなガラス窓。というか、ショーウィンドウといったほうが近い。店だったのか事務所だったのかはわからないけど、ウィンドウ越しの室内はからっぽで、何も残されていなかった。ただ、一羽のすずめをのぞいては。
「……死んでるの?」
「じゃないかな」
うつむくように、眠っているように動かないすずめ。車に轢かれて転がる犬や猫のように悲劇的に見えないのは、とても自然な姿勢だったから。だから目をそらさなくてもいい。流れる血、飛び散る内臓というのは、あまり気持ちのいいものではないけれど、とてもわかりやすく『死』を伝えてくれるものなのだ。
それに、ガラス越しでは触れられない。見ているだけでは、事実はとてもあやふや。
「いつ死んだのかなぁ、これ」
会話にまざる気にはなれず、私はガラスの向こうをただすみからすみまでじっと見た。開閉自由な窓は左側の壁と奥に二つあるけれど、どちらも閉まっている。このガラスの右隣にはドアがあるが、当然のように鍵は閉まって壁には扉がついているけれど、ここも閉まっていてその向こうがどうなっているかはわからない。首を回してドアのあたりをのぞきこむと、オフィス用っぽいプラスチックの白い電話機がコードをぐるぐる巻きにされて落ちていた。ずいぶん急に引き払っていったみたい。
「うーん、十日ぐらいにはなるかな、これに気づいて。いや、二週間ぐらいはたっているかも」
彼の記憶もかなり曖昧だ。言ってる本人も自信がなくなってきたらしい。どちらにせよ、かなりの時間はたっているはず。なのに目を閉じたすずめの姿はただ眠っているようにも見えなくはない。眠っている鳥の姿をまだ見たことなんかないけど。
「なーんで腐らないんだろうね」
「怖いこと言わないでよー、純一郎ったら」
葉子ちゃんの非難も、好奇心を刺激された純一郎には届かない。目を輝かせてガラスに張りついて、私は横に押し出された。もう。
「だって、死体が土に帰るってのは常識でしょう」
「その帰る土がないだろう、ここには」
冷たいベージュ色の床。どれほど時がたとうとも決して同化しあえないそれは、永遠の拒絶かもしくは祭壇のようだ。変わらない姿で、捧げられた。
「ああ、そっかぁ。でもさ、食べ物なんかはお皿の上でも腐るよね。土がなくても腐るんだったら、このすずめは?」
「そもそも、腐るってなんだよ」
じっと視線に囲まれたが、ここには国語辞典はない。どうにか記憶をたどってみる。
「生物をつくっているのものって、なんだっけ? たんぱく質? それを分解して、植物の肥料になることでまた別の物質になって、とかそういうのを前に環境なんとかのビデオで見なかったっけ。それが分解される過程が、腐るってことじゃなかった?」
「あ、有機物と無機物のリサイクルってやつ。見たことあるや。秋の落ち葉がいつのまにかなくなるのはそのせいで、そのおかげで栄養分の多い土に変わるって。なんでもひとつかみの土の中には何万匹、何億匹ってレベルで微生物が住んでて、分解してくれるんだってよ」
細菌も匹で数えていいのだろうか。しかしその後も生産者・消費者・分解者とテクニカルタームを繰り出してくる呉林に後を任せることにする。早速、純一郎くんの素朴な質問コーナー。
「それで、誰が分解してくれるの?」
「だから微生物だって!」
「微生物って?」
「細菌とか、カビとか、きのことか……よくわからないから、それ以上は聞くな」
「え、じゃあ、お鍋にきのこが入っていたら、その鍋は腐るの? きのこ食べたら、おなかの中が腐るの? 今日の給食にしいたけあったよ〜」
「わけわかんないこと言うな。今までさんざんきのこ食べてきて、無事だろ」
「あ、そうだねー。よかったよかった」
二人でお笑いできるのかな。微妙だ。とりあえずきのこの話は別な方向にいきそうなので、この場ではカビにしぼることにした。
「カビかぁ。まさに、食べ物が腐る段階で発生するよね」
「というか、カビがみつかったら普通捨てるからなー。それから先がどうなるかなんて知らない。観察日記つけようにも、家中に非難されそうだ。ともかくもカビがはえるイコールものが腐る、ではない気がする」
考え込む仕草に、私は冷たく言ってみた。
「だからさ、腐るってイメージがどこまでかってこと。呉林のイメージって、巨神兵でしょ」
「普通そうだろ! 巨神兵がドロドロボタボタになった状態、あれが『腐ってる』んだよ! それ以外あるのか?!」
映画マニアの偏見はこの際無視して質問者は軌道修正を試みる。
「ということは、このすずめが腐らないのはその、カビとかがここにいないってことなのかな」
「そうだねー。もしくは数が少ないから進行が遅い、とか」
冷え冷えとした草太の声が自信満々な呉林に水を差すのだ。
「じゃあ、皿の上にはいるんだな」
「……それはまた別の話! 少なくとも土の中に微生物がいーっぱいいるのは間違いないんだからな!」
「なにも嘘だとは言ってないぞ。土が駄目なら他の手だ。インフルエンザは空気感染するんだから、他の細菌だって似たようなことしてんだろ。見たところ、ここは締め切っているから空気の移動はないな」
「なるほどー。だからそのままの形が残ってるんだ」
「一応見た目では、な。実は内部では分解が進んでいるのかもしれない。持ち上げたら羽根がぽとっととれて落ちたりして」
「うわっ、やめてよ。想像しちゃった」
「じゃあ、定期的に見に来ないとだめだね」
顔をしかめる葉子ちゃんと声を弾ませる純一郎。観察日記、こいつならつけるかも。納得しているそれぞれに、私は疑問を口にした。